言葉を言葉通りに−expression−【round-1】

 言葉は”言葉通り”に受け取ることができるのか。

 この課題は、言葉の主な担い手であり、またその作用が直接生じる原点である、コミュニケーション、文章を対象とし、それらの行為主体としての個人にとって、とりわけ切実である。

 しかし、この課題は本当に解決することができるのか。そして、解決する必要があるのか。

 ブログを始めるにあたって、ネットワークを媒体として”言葉を発信”していくブログの本質的な問に繋がるものと考えたので、立場を明らかにしたい。

 結論から先に述べると、それは言葉の”使用法や場面、文脈によって異なる”という曖昧なものである。

 例えば、「なんで宿題やってないの!?」という言葉は、「あなたは宿題をやっていない理由を聞きたいのですか?」と「宿題をやれ!このボケ!」の2種類が存在する。間接的な物言いをしている人の多くはそれが間接的な物言いであることに無自覚なのだ。

 言葉は場所や時間、経験を超え、人と人をつなぐ媒体であるため、言葉を”言葉通り”に受け取るという課題は受け手に依存する以前に解決が困難であることを意味する。

 そして、言葉を発信する人の立場や文脈が存在し、実際に言葉を通じコミュニケーションをとろうとする場合にも、受け手は相手の声のトーンや表情、身振り・手振りから真意を読み取る必要があるからだ。

 例えば、仕事において業務を伝える際や学校において授業を行う際、研究を行う際には、語り手は適切な”言葉”を使用し、受け手は”言葉通り”に解釈する必要がある。勿論、そのような”堅い場”においても、現実ではそればかりではなく”本音と建て前”なども存在するので解釈は困難を極める。一方、交流やコミュニケーションという場においては、言葉を言葉通りに受け取るという場面は相対的に少ないと感じる。ここに「言葉を言葉通りに受け取る必要があるという場面の選択」に対して、曖昧性が生じる原因があるのではないかと考える。

 この曖昧さが社会において多くの問題を及ぼしているのは言うまでもない(e.g. 日大タックル問題の「やらなきゃ意味ないよ」、某ジャニーズの「何もしないなら帰れ。」など)。

 しかし、この言葉を”言葉通りに受け取る”ということは、悲観的なものだけでなく建設的に考えることも可能である。そして、我々はそうしてきた。

 それは、言葉遊びや言い回し、ユーモアやお世辞、比喩や皮肉というものである。

 「言葉」という情報から、言葉を超えた、言葉通りを超えた、解釈を楽しむということに対して、”美しい”、”粋だ”、”おしゃれだ”、”風流である”などと感じる。つまり、それは”言葉の向こう側”であり、「受け手の創造を想像した言葉」である。

 言葉を言葉通りに伝えるため、効率的に文脈をつくるのに対して、対称的に非効率といえるこの受け手の創造を想像した言葉も受け手の解釈に依存するという課題はあるものの、それすらも””や””と捉え、建設的に楽しむことができる。

 その言葉を楽しむという行為、また、言葉を楽しもうとする行為は”穏やかな暮らし”につながると私は考えています。

 ...もうここまで書いたら、わざわざ言う必要がないとは思いますが、

 言葉を言葉通りに受け取ることは限界があると考えています。ですので、僕がこのブログで書く言葉、文章は読み手の受け取り方に任せようと思っています。”round“と名付けたブログなので、気負わず、ありのままで、そして、少し狙った”サムい言葉”になるかもしれませんがよろしくお願いします。

 えっ、真面目すぎ?既に内容がユルくないだろって?

 そんなkidsには、このブログで”言葉の向こう側”を見せてやるよ〜。

 さて、私が【round-1】にこの議題を取り上げた本当の意味は、言葉とは受け取り手によって解釈が異なるため、私のブログに対して文句を言ってきたとしても受け付けることはないってこと。それらの理不尽さを含めてのラウンドブログをよろしくお願いします。

 今回は【round-1】ということで、このブログで用いる言葉の解釈について、ブログを運営する立場から言及しました。

あ〜、夢みたいなユメ見たいな〜。

【round-1】言葉を言葉通りに−expression−

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