時間を共有する!?−time−【round-5】

 あなたと”時間を共有”したい!!!!

 恐らく、この言葉の意味は同じ場所、同じ時間で同じ経験をするということであろう。

 一緒に喜んだり、一緒に泣いたり、一緒に喜んだり、一緒に怒ったり、、、、うん。意味が理解できるようで、あんまりできないな~。本当に同じ場所で同じ時間を過ごすことが時間を共有することであるのか。

 思い出は只の死体なのか。そもそも、時間って共有できる概念なのか?

 ということで、今回は時間に関する議論です。どうぞ。

時間”とは何か。今日の日常的な意味で時間は以下のように使用されている。

  1. 時刻。つまり、時の流れの中の一点のこと。
  2. ある時刻と別のある時刻の間。およびその長さ。
  3. 空間と共に、認識のまたは物体界の成立のための最も基本的で基礎的な形式をなすものであり、いっさいの出来事がそこで生起する枠のように考えられているもの。

 私自身、私生活の中で”時間”は気に留めているが、”時間”とは何かと考える機会は少ない。そこにただ存在するものとして、そして、尺度として、単位としてしか認識できていない。皆さんもそうではないだろうか?

 「時間とはどういう概念ですか?」と問われた際、適切な表現や用語を用いて説明することは困難である。つまり、”時間”というのはあまりに基礎的で、あまりに捉えがたいものだと言える。時間についての概念は、それぞれの分野で異なった定義がなされており、現在も哲学、自然科学、心理学などの重要なテーマとなっている。

 時間が欲しい!時間が足りない!時間がない!...

 残酷にも、絶対的であれ、相対的であれ、時間は流れている。そして、始まりと終わりがあろうとも、伸び縮みしようとも、私たちは間違いなく時間の流れを感じている。””を感じている。

 私達はとらえどころのない対象である”時間”について、”流れ”という比喩を用いて表現し、それを理解のきっかけとして用いようとしている。

 時間の流れを過去、現在、未来の3つに分類することが世の常であるが、過去とは「すでにないもの」であり、未来とは「いまだないもの」である。ならば在ると言えるのは現在、今だけなのだろうか?

 時間の流れの中に存在する”今”という時間について私たちは客観的に説明することはできない。事実はこの瞬間、今まさしく形成されているのである。時間の観測と同時に事実を主観的につくっていると言える。

 このあまりにも巨大すぎる時間という概念は尺度や単位を超えたもので私たちと共にある。

「時刻を共有する」のではなく、「時間を共有する」という題材はここから導き出される。同じ時刻を共有するのであれば、同じ時刻同じ部屋で飛んでいた「蚊」と共有することになる。

 終わってみると一瞬のように感じる。思い出は只の死体なのか?懐かしさは偶然なのか?意識のないところに今は存在するのか?時間とは主観的なもので共有することはできないのか?

 時間や経験を共有するとは、どのような認識の過程があり、 時間や空間はその中にある物体と独立に実在するのか、それとも物体と物体の関係としてしか存在しないのかが論点になる。  

 ある現象が持続していると感覚する限り、人はそのただなかにいる。反省が可能になった際にはじめて現象は出来事として把握可能になる。そうした把握は事後的に解釈が変更される余地はあるが(「あのときのあれは、こ ういう意味を持っていたのだ」)、出来事として把握になるというのは、意識の上で現在と切り離す操作でもあり、過去化だと捉えることができる。 時間は時間そのものはそれだけで知覚されることがかなわないという時間の性格は、今日におけるわれわれの時間感覚にも変わらず通底している。

 そして、過去と未来の連続性は、未来における現在ののなかで何が生じるかは、われわれが今現在において下さねばならない決定に依存しているため、未来は過去、現在の延長上に安定的に予測されるものでなく、現在の決定に応じて多様な仕方で構成されるものだと考えられる。

 つまり、過去、現在、未来も、自分の意思決定や気持ちによって左右されるものである。それは空間をも含んだものであり、事実や時間の感覚はその場その場で形成されていくものである。同じテレビを見ていても人によって捉え方が違う。時間や経験も同じ時刻、同じ空間に存在していても人によって捉え方が異なってくる。人それぞれで考えが違うため至極当然と言える。

 それでは、私たちは時間をどう穏やかに過ごしていけばいいのか

 時間の感じ方は時間そのものでだけではなく、空間や認識を含んだものとなる。そして、その意思決定権の多くは自分にあることを理解して行動することが重要となる。

 時間がない!と思うのも自分次第であり、案外落ち着いて行動してみると余裕があったりもする。悲しいなと感じてしまう物事も楽しいことに繋がる経過であると考える事ができれば、それは楽しい時間に含まれる。そして、それは時間や空間を超越し、人に共有することが可能である。自分が時間を穏やかに捉え、周りに発信していくことで、その事実は時間という流れを通じ、空間を飛び越えて、伝染し、時間を共有することができる。

 楽しいと感じれば、楽しい時間を共有でき、悲しいと思えば、悲しい時間を共有することになる。考え方次第で、未来も過去も今の選択によって穏やかに感じる事ができる。少し傲慢かな?

 私が人生で一番楽しい瞬間は、これから良くなる!という予感や希望があり、実際には現実でリッチになっていない状態であると思います。例えば、旅行の計画を立てている時などがそれです!みんなで一緒にすると一層楽しいよね。

 それぞれの意思決定によって異なる時間の認識の中で、時間を共有することはできないかもしれない。共有したという事実でさえも捉え方によって変化するからである。だからこそ、時間を共有したいと思う人には自分の意志をきちんと伝える努力をした方がいい。

 悲しい過去もあんまり良いと思わない未来も今から変えられる。別に無理をして考え方を変えなくてもいい。時間を受け入れる努力もしなくていい。でも、少し時間から離れてみることも大切だと思います。私はそういう時には、今に希望を持って毎日を生きようとします。すると、自然に心が穏やかになり、時間への執着も和らぎます。楽しい時間が増えると穏やかな暮らしに繋がる。穏やかに暮らしていると、楽しい時間が増える。穏やかに穏やかに(^^♪

 時間を共有することは、とても困難なように感じるかもしれないけれど、自分が穏やかに過ごすことによって、いろいろな人と仲良くできて、みんなの時間も穏やかになるんじゃないかな

あ〜、夢みたいなユメ見たいな〜

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【round-】時間を共有する!? -time-

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